無頼系発達障害者 幼稚園卒園間近に行方不明事件を起こす 衝動性?失踪への憧れ?

 先日のブログの最後に記した、私が幼稚園時代に起こした、卒園間近の“事件”。

 それは、失踪でした。しかも、二度も・・・

 

 鉄道が好きだった私は、ある日、一人で家を出て、

自宅最寄り駅の駅から、大人の後に引っ付いて改札をくぐり抜け、

電車に乗って二回ほど遠方へ行き、警察沙汰になりましたw

 

 一度目は、在来線で小田原。二回目は新幹線で高崎へ飛んでしまいました。

 

昭和の時代は、何処の駅も自動改札は無く、駅員さんが切符を切ってました。

今と違い、駅員さんは愛想はあまり無く、ただ黙々と改札を処理する―。

そんなスタンスの駅員さんが多く、ただ目の前の切符を黙々と切って入場させ、

目線は切符に集中していて、人の流れを見ている感じはありませんでした。

 

 それに乗じた訳でもなく、私は、特に何も考えず電車に乗ろうという感じで、

大人に引っ付いて改札を通り、電車に乗り、

どこをどう行ったか今は記憶がありませんが、気が付いたら、

一度目は小田原。二度目は高崎でした。

 

 幼児が一人で夕方の小田原駅を手ぶらで歩いているのを不審に思った駅員さんが

「ボク、どこ行くの?」的に声をかけ、あっさり警察に引き渡されました。

そして警察署に連行?されました。

 

 交番でなくいきなり警察署連行w ガチで家出小僧扱いされたと思います。

警察では「名前は?どこから来たの?おうちの電話番号は?」と聞かれます。

名前と住所は言いましたが、電話番号が言えません。

自宅の電話番号を覚えていない、残念な子供でしたw

 

 警察は最初、「とぼけてるな・・・」と感じたらしく、

「言う事を聞かないと地下の牢屋に連れてくぞ^^

牢屋には怖いオジサンがたくさんいるぞ^^」とからかい半分に脅されました。

留置場の事ですね。

 

 まあ、でも解らないものは解らないので、「わかんない」と言い続けました。

困った刑事さんは、とりあえず出前をご馳走してくれた記憶があります。

何だかんだで、一晩署内で過ごし、長いすに雑魚寝したと思います。

翌日になってすぐ父親が迎えに来ました。

このバカヤローって感じで引っぱたかれましたね。

 

 小学生にもなってない子供が行方不明になったと言う事で、

両親がすぐ警察に届け、小田原の警察と自分の住まいの管轄警察署間で連絡し、

「駅を徘徊していた幼児をこちらで保護している」的な感じで

話がつながったのだと思います。

 

 帰宅後は、親や、心配して集まった親戚から、

心配したんだよー でも無事でよかったねーと、こんこんと説教されました。

 

 しかし数週間して、また一度目と同じ手口で、今度は新幹線に乗って

高崎へ行っていしまいます。

ここでも、子供が一人で新幹線のホームに佇んでいておかしいと、

どこかのおばさんが駅員に報告し、駅を通じて警察が来て保護されました。

 

 この時も、名前・住所・電話番号を聞かれましたが、

まだ自宅の電話番号を覚えていなかったので、捜査は難航w

一時預かり?的な処置で、地元の孤児院(今でいう児童養護施設)的な所に送られ、

親が迎えに来るまでそこに居る事になりました。

 

 このような施設は、今は虐待問題でたまに取り上げられ、職員の虐待や

過剰な規則などが問題になっていますが、嫌な事をされた記憶は全くありません。

しかし、二日ほどして両親が呆れ果てた顔で私を迎えに来て、職員の人に頭を下げ

帰宅する時、他の子どもたちが何とも言えない目つきで自分を見つめていたのを

よく覚えています。

彼らは自分と同じ世代だった気がしますが、今どうしているんでしょう・・・

 

 二度も同じことをしたと言う事で、まあ当たり前ですが、一度目以上に

お説教をくらいました。

近所の人や、卒園間近の幼稚園の先生方も総出で探して下さったんだと。

 

 あの時代は、携帯電話も防犯カメラも無く、身代金誘拐などがしばしば

あった時代。今もそうですが、昔から歪んだ意味で“子供が好き”な

変態さんもいらっしゃいました。

そんな事件が絶えない中、子供がいきなりいなくなったら、

周囲の人がどれだけ心配するか?

いくら子供でも大体の子供は想像つくでしょう。

 

 軽い冒険心で一回はやっちまったとしても、周りに説教されたら

心配をかけてしまった。もうやらない。となるでしょう。

それでも、フワーッと糸が切れたタコのように私は行ってしまった。

父親は「何が不満でこういう事をするんだ!」と本気で嘆いていました。

特に家や親や日常に不満は無かったんですが・・・

子供とは言え、今考えると少しヘン過ぎたなあ・・・と。

ここら辺、発達障害的(この場合衝動性)な特性が出たのかと今振り返って感じます。

 

 以後、失踪事件は起こしてません。

後々書いていきますが、学生時代ヤドカリのように部活を変えたり、

本番直前に消えたりしていますが、家族が自分の居場所を知らないという事は

これ以降の人生ではありません。

 

 ただ、“失踪” “放浪”などのキーワードは、私にとって今も魅力的なキーワードの

一つです。

今までの流れをブッた切るようで、こいつ反省してんの?と思われるかも

しれませんが・・・(汗)

つげ義春 とか はだかの大将の山下清 とか 

最近亡くなられた漫画家の吾妻ひでお さんとか、

失踪を繰り返す人に、人間的な魅力を感じるのも偽りない気持ちです。

 

 何と言っていいのか、悟り的な自由の探求と言うか・・・

周りの人は大迷惑なんでしょうけれど・・・

何か、ふざけるな!と怒り心頭に糾弾できないというか・・・

ふざけるな!と怒る人に「まあまあいいじゃないですか」と

なだめたい心境になるというか・・・

「何故か憎めない」「どこか憎めない」

そういう感じです。

 

 

 

 

 

無頼系発達障害者の幼少期 【みんなより、一人。運動嫌いで、時に正義感?の鉄道好き】 

こんばんは。

 

今日は無頼系を自称する私の幼少期について。

 

生まれは東京のベッドタウンです。

一人っ子でした。

(厳密に言うと四つ上に姉がいるのですが、生まれてすぐ亡くなってしまい、

私は姉の事を知りません)

と言う事で、事実上の一人っ子です。

父は典型的なサラリーマン。母は専業主婦。

他、母方の祖父も同居していましたが、入退院を繰り返していました。

 

発達障害の人は、子供の頃から孤高と言うか、独創的と言うか

周りの人が ? と思う事をするようです。

 

私もまさにそんな感じで、

例えば幼稚園では、皆がお遊戯している時に、隅っこで本を読んだり、

石をひっくり返し、ダンゴ虫やらワラジ虫を探し回ったり、

飼育されていたニワトリをじっと眺めていました。

 

家に帰ってもあまり外に出たがらず、家の中でじっと本を読んでいる。

そんな子供でした。

そんなインドア風情の息子を見かねて両親が一度、公園に連れ出し、

ボール運動など仕向けてみましたが、頑なに嫌がったようです。

「ああ、コイツは運動嫌いや・・・」と両親は痛感したとの事でした。

 

また、家に帰ってテレビを見る事は見るのですが、

同世代の男子がハマるような流行モノは興味を示さず、

再放送の おじゃまんが山田くん じゃりんこチエ  ど根性ガエル 等、

古いギャグマンガばかり見ていました。

周囲でガンダム熱があまりにも激しく、一旦どんなものか見てみようとしましたが、

五分くらいして退屈で眠ってしまいましたw

「こんなんの何がおもしろい?」と食卓で親に話し、

「そういう言い方をするな。あんただって好きなものをそう言われたら嫌でしょ?」と

たしなめられる事もしばしばでした。

流行に合わせようという意思が昔からあまり無かったです。

ただ、ドラえもん サザエさんは皆同様に見てました。

庶民的・日常的な、想像のしやすい設定が、自分の価値観に合うんでしょうね。

 

 

それでも、周りから全く孤立して居たわけでもなく、

周りの子に暴力をふるうとか、変な事を言うとかはほとんどなかったので、

嫌われるような事は無かったと思います。

 

こんな事もありました。

幼稚園のクラスで近所を皆で散歩中、ノラみたいなみすぼらしい雑種犬が

園の行列に付きまとってきました。

呼吸が若干乱れていてヨダレを垂れ流し、

ちょっと狂犬?的な感じのする怪しい犬でした。

 

皆どうしていいかわからず、先生も若い女性でしたので少し怖がり、

微妙にまずい状態になりました。

周囲は雑木林と畑で、人の姿はありません。

今だったら先生がスマホで園に連絡して、男性職員が飛んできて

犬を追っ払う流れでしょうが、昭和の時代でしたので・・・

そんな時、私は「どっか行け!行けよ!」と拳を振り回し、犬を一喝しました。

犬は、それを見てスゴスゴと逃げてしまいました。

 

「襲ってきたらどうするんだ・・・」と皆キモを冷やしましたと思いますが、

変な犬を退散させたのですから、ヒーロー扱いです。

次の日の朝礼?で、園長先生からお褒めの言葉を頂きました。

私は、ただ単純に、妙な犬が疎ましく、皆も困ってる。

一刻も早く追いやりたかっただけなのですが・・・

 

因みに幼稚園時代、一番興味関心があったのは鉄道。

赤ん坊の頃から、散歩では線路沿いのコースがお気に入りで、

雨の日も風の強い日も、線路沿いだったら絶対グズつかなかったようです。

近所の公立図書館でも、鉄道関係の本は大人向けの本も借りて読んでました。

(鉄道本は、昔から写真中心のものが多いという事もありますが)

 

当時秋葉原にあった交通博物館や、青梅の方にあった鉄道博物館

それぞれ、数十回は連れて行ってもらったと思います。

一方、出来たばかりのディズニーランドやとしまえんも行きましたが、

あまり反応は芳しくなかったようですw

 

鉄道好きと言うのは、幼い男の子ならごく当たり前だと思いますが、

今思うと、その興味の視線は特徴的でした。

窓の景色を見る時も、廃墟とか、産廃処分場に積まれた便器を面白がったり、

当時の子供に人気のあったブルートレインや特急のような“花形電車”より、

車両基地の脇に放置された古い車両、点検で使う保線用の車両・・・

ああいうモノに強い興味を惹かれました。

「中はどうなってるのか?」「どんな時に動くのか?」と想像してました。

 

乗り鉄も、父に連れられ、ちょくちょくやっていました。

その時も、やはり注目するところは特徴的でした。

一番前か一番後ろ、乗務員室の様子を眺める「かぶり付き」をする際、

景色や運転手の動作ではなく、速度計や圧力計などのメーターを凝視していたり。

 

運動嫌いで独創的ですが、正義感的な側面もあり、他人に乱暴はしない。

そんな幼稚園時代の私ですが、卒業間近に事件を起こします。

 

 

 

 

無頼系・・・というか ただのクソヤローの発達障害持ちがブログを開設したよ

はじめまして。

コロナコロナで右往左往する毎日ですが、いかがお過ごしですか?

日本国内に住む、若くも年寄りでもない中年です。

 

突然ですが、私は発達障害です。

ASD自閉症スペクトラム)とADHD(注意欠如多動性障害)の診断が下りてます。

仕事を、バイトをしながら探し中の身分です。

 

このブログでは、自分の事や、発達障害の事を適当に書き散らしていきます。

タイトルにも顕しましたが、私は結構口も悪いし態度も悪いです。

頭も顔もw

 

これまで・今・これからの事。いろいろ書く中で激しい表現も記すと思います。

発達障害系のブログは、ほんわかした雰囲気のものが多いと感じていますが、

個々のブログはそういう感じにする予定はないです。

 

私は、表向きは穏やかで大人しい・落ち着いている等と評価されますが、

本当はかなり激しい人間と自負しています。

今に至るまで、傷害・脅迫・暴行などで一回もブタ箱に入っていないのが

奇跡なくらいです。本当に。取り繕っている部分が多分にある。

 

でも、大人しくしないと居場所が無くなると言うのをよく自覚している。

そんな感じで生きています。

世間的に感じ悪い事や違和感を感じる事も多々書くと思います。

気分が悪くなったら読まない方が精神衛生上良いと思いますw

 

 

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